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ベルリオーズ コンサート
ローマの謝肉祭」序曲Op.24
劇音楽「ファウストの劫罰Op24より
ウラコッツイ行進曲」*
エ妖精の踊り」**
オ鬼火のメヌエット**
幻想交響曲Op.14a***


レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィルハーモニック*
シャルル・ミュンシュ/フィラデルフィア管弦楽団**
ピエール・ブーレーズ/ロンドン交響楽団

CBS/FINELINE FLCD9063

P:Thomas Frost,John McClure

E:Paul Mayers

録音 1959/10/26,1967/10/26*,1963/03/14**
1967/10/24,25***

30番街スタジオ,ニューヨーク
フィルハーモニック・ホール,ニューヨーク*
タウン・ホール*,フィラデルフィア**
アビー・ロートドスタジオ,ロンドン

演奏時間
ローマの謝肉祭
7:59
ラコッツイ行進曲
4:29
妖精の踊り
2:29
鬼火のメヌエット
6:01
幻想交響曲
第1楽章
13:41
第2楽章
6:28
第3楽章
14:58
第4楽章
6:04
第5楽章
11:20
tatal
52:31

 同じマスターワークシリーズの一枚でもこれはオーストリア盤によるものでFINELINEシリーズの一枚である。まず日本盤ではあり得ないことだが「ファウストの劫罰」のラコッツイ行進曲だけがバーンスタインの指揮で他の2曲がミュンシュ指揮/フィラデルフィア管弦楽団の演奏というちぐはぐな収録となっている。ミュンシュはフィラデルフィアとはLP一枚分の録音しか残していないので非常に貴重な演奏だ(小生はLPで所有しているが3枚目の写真がその現物である)。もともとこのCDは寄せ集め的色彩が強くメインはブーレーズ指揮の幻想交響曲なのだからしょうがないのであろうがそれにしても中途半端な感じは否めない。
 さて、1曲目の「ローマの謝肉祭」序曲はオープニングにふさわしいゴージャスなサウンドで魅了される。バーンスタインがニューヨークフィルの常任になり精力的にメジャーな作品の録音に取りかかり出した頃の録音で、フレッシュな息吹に包まれている。50年代の録音は30番街スタジオが多くややデッドな響きでメリハリがある。オーボエソロが雰囲気がありいい気持ちで音楽に入り込める。ただちょっと編集が杜撰で2分13秒過ぎのタンブリンが登場するところで音が寸詰まりになるのだけはいただけない。この頃の録音はステレオ効果を狙って左右の音の分離がはっきりしていてヴァイオリンの音はきっちり左に定位していて弦の掛け合いの部分などは音が平板になってしまうのが惜しいが金管の音は程よく左右に定位していて聴きやすい。バーンスタインの直球勝負の演奏は爽快でアルバムのオープニングには相応しい仕上がりである。
 これに比べて2曲目の「ラコッツイ行進曲」はその辺の録音条件の不備は改善されていて弦も適度にブレンドされコンサートに近い音場に改善されている。こちらも馬力のある演奏で実に爽快。録音レベルが高く強奏でちょっと音がひずみがちになるのだけが残念だ。昨今バーンンスタインのニューヨークフィル時代の録音は全く日の目を見ていないがこういう演奏を聴く限り再認識されてもいい時期に来ているような気がする。何もベームやカラヤンだけがクラシックの本流ではないはずだ。
 さて、3曲目はミュンシュの登場だ。フィラデルフィアのブリリアントな弦のサウンドに支えられて極上のベルリオーズのサウンドが繰り広げられる。同じ「ファウストの劫罰」でありながらまったくといっていいほどサウンドが違うのには驚かされる。ニューヨークフィルが馬力でぐいぐい押しまくる男性的なサウンドに比べ、フィラデルフィアはノーブルな貴婦人のような響きで同じベルリオーズでも気品が感じられる。特に「鬼火のメヌエット」は出色の出来でフィラデルフイアの技術力の高さとともにミュンシュの棒が冴えておりこの組み合わせが成功したことを物語っている。ボストン響の常任を辞任した直後の録音だけにゆとりが感じられる演奏でオーケストラ共々音楽を楽しんでいるのが判る。隠れた名演であり、小生がこの演奏を含むLPを手放さないのもそこに理由がある。
 前菜の後はメインディッシュの幻想である。実はこの幻想もLP時代に最初に買ったもので購入リストによるとクラシックのLPとしては5枚目のもので当時は3000枚限定のマスタープレスのレコードだった。奇抜なグリーンを基調としたジャケットでブーレーズの顔と手だけが強調されるというサイケ調な仕上がりが妙に印象に残っている(2枚目の写真)。当時はクリュイタンスの幻想が圧倒的で学校の音楽室のライブラリーも当然それだった。中学生の頃はこのベルリオーズに興味があり彼についていろいろ調べ授業で発表した記憶があり、クリュイタンス以外の奇抜な演奏ということでレコード芸術を買ってきては熟考しブーレーズを選んだのだった。
 第1楽章から遅いテンポでクリュイタンスとは対極にある音の運びで非常に興味深い。ここまでスコアを細部まで徹底的に分析し、クールで緻密な演奏を繰り広げているのは驚異に聴こえる。今聴いても徹底的に楽譜を客観的に分析して演奏しておりストラヴィンスキーの「春の祭典」のように楽譜に書かれた音符をすべて音にしている。それでいて音楽が流れているのだから凄い。「幻想」では多分今までの人生の中で一番聞き込んだ演奏だろう。ただ、その聞き方は音楽にのめり込むというものではなく、音の構造を楽しむためといった方が正確かもしれない。
 第二楽章のワルツにしても他の演奏のように決して上品なウィーン風ワルツではない。どちらかというと正確なテンポで揺れることのないある意味泥臭いまでのワルツである。この曲の注釈には「さわがしく華やかな祭りの舞踏会」と書かれているからある意味正しい解釈といえるかもしれない。特に始まってすぐの低弦によるスフォルツアンドの強奏にはビックリさせられるし主旋律の陰に隠れているが伴奏部分などは猥雑の音の動きを感じざるを得ない処理を施している。
 第3楽章も特異な演奏でアクセントの処理は鋭角的で弦の動きはどちらかというと無機的に響き音を膨らますという処理はされていない。この響きがかえって「野の風景」の寂しさを強調し次の楽章への橋渡しとしての効果を増大しているような気がする。
 第4楽章でもテンポは遅く、「断頭台への行進」が実におどろおどろしく響く。ただオーケストラの音は過不足なく響き各楽器の音が明瞭に聴き取れてブーレーズのオーケストラコントロールのうまさが光る。続く第5楽章も同じ解釈の延長線上にあり、インテンポでの分析的演奏に変わりはない。表面だけ聴くと非常に無機質に聴こえるが、ここまで徹底して客観的に演奏できるものかと驚いてしまう。感覚でいえばまるで舞台裏から覗いているような気分になるから不思議である。そして聴き終わって何か得した気分にさせられる演奏に仕上がっている。決して熱く燃えるタイプの演奏ではないので意見の分かれるところであろうがここまで徹底していると痛快である。もともと幻覚の中の情景を音で表現しているのであるからその中に入り込んでの演奏とそれを客観的に捉える演奏との解釈が成り立つ訳だが、ブーレーズは後者の解釈に徹底的にこだわったものである。その意味で小生にとってこの演奏は誠に興味深いもので後のクリーヴランド管との演奏より好きである。
 今回この駄文を書くにあたって最近入手したSONYのMDR-CD900STというヘッドフォンを通して聴き直したところ今まで思っていた退場に録音が良くてビックリした次第である。各楽器が非常に鮮明で今まで低域不足とばかり思い込んでいたが実にバランスが良くコントラバスなんかストコフスキーばりにギュンギュン唸っている。これはフランス国立管との「春の祭典」以上に初期の名盤だと思われる。


 
                                                            2006/02/14

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