前 口 上
 我が家は昔から音楽とは殆んど縁もゆかりもありませんでした。小生が子供の頃親類が処分するからと蓄音機といくばくかのSPをレコードを抱えて貰ってきたことが関係あるといえばあるくらい。
そんな中FM放送もまだ始まらない昭和40年代、NHKが第1放送と第2放送を使ってステレオ放送の実験をやるとかで、親父が何処からかラジオを2台かき集めてきて我が家で受信したことがありました。子供心にすげえ進んだ親父だなあと思いました。で、その時は曲も流れたとは思いますが、試験電波が右から聴こえたり左から聴こえたり、音が右から左へ移動するのとすごい臨場感でわが耳を疑う感動を覚えた記憶があります。
 中学になると親父がテープレコーダーとレコードプレーヤーを買ってくれました。漫画ばかり見ていた子供に少しは高尚な音楽を聴けと与えてくれたのですがブレーヤーの方は肝心のレコードが高いのでほとんど使わず、もっぱらテープレコーダーにラジオから流れる曲を録音しては聞きかじっていました。もちろんこの頃はまだ、FMとは縁がなくNHK第1放送の朝の「名曲の泉」という番組を中心に聴いていました。
 ほどなくしてNHKでFM波を使ったステレオ放送が始まり、地元では1969年12月24日、日本で初めての商業放送によるFM愛知が開局したのでした。試験放送ということでは「FM東海」というものが存在しましたが聞けませんでした。
高校に合格すると親はFMが受信出来るプレーヤー一体型のステレオを買ってくれました。これで、音楽中心の生活にはまり込んで行きました。もちろんクラシックが中心でしたがポップスもがんがん聴いてステレオを使い倒していました。幸運なことにこの民放FMの開局前夜はそれこそかじりついて毎日聴いていました。
 てなことで、中学の頃からクラシックを聴き始め高校に入ってからは小使いも増え昼食を節約してはレコード購入に投資していました。嬉しいことにこの頃からレコード各社が廉価盤を発売し始め日本コロムビアの「ダイヤモンド1000シリーズ」を筆頭に「エラート1000」、「ヒストリカル」などまたキングからは「世界の名曲1000」、東芝は「セラフィムシリーズ」、フィリップスは「グロリアシリーズ」などが発売されました。最も、これより先にグラモフォンからは「ヘリオドール」やフィリップスの「フォンタナ」盤が1200円で出てはいましたがぱっとしませんでした。純真無垢の少年は「レコード芸術」の批評をナビゲーターに良い評価を得たレコードを片っ端から買い集めました。でも、この節約投資が後々大変な附けをもたらし大学受験の丁度試験前に「おたふく風邪」とやらを発症し七転八倒の苦しみの中1年浪人するはめになりました。
 でも、転んでもただでは起きないぞ。この時の自由時間を武器に浪人の身でありながら家庭教師はするは、偶然募集していた「FM愛知」の社外モニターに採用されその謝礼をまたレコードにつぎ込むは、また映画の試写会はことごとく制覇するはの文化的生活を送りました。そんな中、ひょんなことがきっかけで「ある晴れた日に」というレコードの個人輸入を薦める同好の氏の集まりに参画し、アメリカやイギリスからレコードを個人輸入することにチャレンジしました。異国から船便で1ヶ月以上かけまさに「ある晴れた日に」注文したレコードが届くのはまさに至福の一時でした。こうして集めたレコードは80年代中頃までに有に5000枚を超え一大コレクションになりましたが、時代は既にCD時代に突入していました。小生の収集熱も次なるターゲットはCDに移り、これまた現在までに3000枚を超えようとしています。
 この状況に鑑み、レコード、CD収集の思い出に馳せながら供養も兼ねて個人的な駄文をしたためようと思い立ったしだいであります。

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